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灯りの下に

最近、母のことを思い出す。
寝る前に、母さんの顔が浮かぶ。

新しい曲で、家族との思い出を描いたからだと思う。

きしだくんとななちゃんが、新しい曲を試しながら演奏しているのを聞いて、言葉が溢れてきたんだった。

わたしの歌が入る前、2人が新しい曲の芽に一生懸命水をやっている時間、あの時間に立ち会えることは、
世界中誰も味わうことのできない、私だけの特権だと思う。

コードとリズムが合わさって、わたしのこころを強烈に揺さぶる。
一旦蓋があくと言葉は止まらず、目の奥で、景色が弾けていく。


きしだくんに笑われた。
「いっぱい書きたいことがあるんだね。」
だってさ。



※※※※


整然と並ぶ蛍光灯や、机、乱雑につまれた書類がみえる。
窓の奥に広がる、その光の下で、今日も誰かが仕事をしている。


そういう景色を見るたびに、うらやましくて、仕方がなかったなあ。


あそこには、世界と、社会と繋がっている居場所がある。
社会の基準で認められた価値観に、きちんと沿えた結果、
その光の下で、仕事ができる居場所がもらえる。

わたしにはできるのかな?
真面目だけが取り柄で、要領が悪いわたしには、居場所があるのかな?
どうしてわたしはあそこにいないのかな?

そんなことを猛烈に思っていたことがある。

世界には、たくさんの事柄がごろごろと無造作に転がっていて、
いちいちそれに足を止めたり、考えたり、それを跨いで無視するようなことができない人間は、
いつの間にか、列車に乗り遅れている。

列車に乗り遅れたことに気がついたときには、
あんなに憧れた蛍光灯の灯りは、目が霞むほど遠くにあるような気がして、
どうしたらあそこに辿り着けるのか、どうしたらこの遅れを取り戻せるのか、
どうしてわたしは目の前に転がるこんな小さなものを、
「みんなのように」、
跨いで進んでいくことが出来なかったのか、
何もわからなくなっていた。



今はわかる。
整然と並ぶ蛍光灯の下にいるのは、
ひとりひとり、違う道を辿って、縁があってその場所にいる、人間なのだということ。

列車に乗り遅れても、歩いているうちにいつのまにか、どこかに開けたところにぶち当たるようになっているみたいだ。

※※※


列車に乗るのは、もうどちらでもよくなった。
世界に転がるたくさんの事柄に、いちいちつまずいていても、生きていく方法があるということがわかったから。

いちいちつまずいても、跨いで進んでいくのに時間がかかっても、歩くことができれば、命は、終わらないもんだと知ったからだ。


社会はいつも、列車に乗り遅れた人に厳しい。
乗り遅れた人には、元に戻る方法なんか与えてくれない。
「元に戻る」
を価値に置いているうちは、どうしたって、抜け出せなかった。
誰も見向きもしてくれない、誰も答えを教えてくれない。

だから、あきらめた。


乗り遅れたのは何故だろう。
いちいちつまずいてしまうからだよ。
それは何故?
考えてしまうからだよ。
そこに転がっている事柄を、考えたくなってしまうんだ。
いろんなことを、考えてしまうからだよ。

じゃあそれが、「元の自分」なんじゃないのかい。

※※※

「こつこつちゃんとがんばってれば、見ててくれる人はいるんだね。よかったね。」


母さんは言ったことすら忘れてると思うけど、
わたしの根っこは、この言葉にあるよ。



さえぐさ