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生活

5月は季節がめまぐるしい。
暑い日の次には肌寒い日があって、この数日はうす曇りの毎日だ。
雨が降らないだろうという予報のもと、洗濯物を干すけれど、厚手のものは乾かないところが出てきてしまう。そしてまだ、厚手のものをしまう決心もつかない。

今日の天気を気にしながら洗濯をするみたいに、さきのことを予想して、計画をたてて、段取りをつけて、行動を起こすということ。ものものしい言い方をすれば、生活をするというのは、この繰り返しだ。

生活をすることが、だんだん板についてきたかもしれない。生活をすることにはリズムが肝心で、一度リズムに乗れば、思いのほかとんとんと、生きていけることもわかってきた。

おべんとう(といっても、おにぎりとみそ汁みたいなものだけ)の準備をするのと、朝の支度をするのに〇〇分。仕事場に行くまでの通勤時間が〇〇分。お昼を食べるのに〇〇分。休憩の残り時間でお昼寝をするのに〇〇分。帰宅しがてら夕飯の買い出しに〇〇分。晩御飯をつくるのに〇〇分。寝る前の支度をするのに〇〇分。

24時間を切って切って切って、するべきことを順繰りにこなしていくのが生活で、そしてそれは尊く、くたびれることもあるけれど、生活はやはり、楽しいものだ。生活するということは、たのしく、ここちよく、自分にとって快楽を与えてくれるものだ。(こんな寝言は家族がいないから言えることだっていうことは重々承知しております、、、)

あるはるかをよく聴きに来てくれる方が、こんなことを言っていた。
「なにがしたいのとか、どんなことをやり遂げたいのとか、そういうこと聞かれるのがいちばん好きじゃないんだ」「上を目指すことがふつう、みたいに言われるのは、ほんとうに全然、好きじゃない」

仕事をすること、音楽をすること、生きていくこと、なんでもいいけど、何か行動することには、目標があるはずだと思われる。目標があったほうが良く、そしてその目標っていうのは、具体的であれば、尚のこと良い。そういう不文律があるんだろうなというのは、人間として数十年生きていれば、なんとなくわかる。

ただ、人間というのはいろいろいるので、目標なんてなくても、それをしたいからしたい、という理由だけで行動をするひとも、当たり前にいるのだ。なんならもっと曖昧な理由かもしれない。なんとなくやってみたら楽しかったので、とか、やっていることが楽しいので、とか、もっとやってみたら楽しいかもしれないので、やっている。「この行動にはっきりとした理由がある!」と自信をもって言えるほど、私はじぶんのきもちを信用できない。笑

翻ってみれば、生活をすることに目標なんてないけど、それはわたしにとって必要不可欠で、24時間をうまいこと切って切って切って、行動を繰り返していくことでじぶんの体が生かされていくことは、たのしいことだと思っている。しいて言うなら、生活そのものを継続していくことが目標っていえるけど、でも、目標なんてなくても、「毎日の生活」は、わたしに、ここちよいという感覚をくれる。

丁寧でロハスな生活!とかじゃ全然ないけど、毎日、生きていくための行為(家事全般)とそれに伴う風景(スーパーの風景、台所の風景、帰り道の風景等々)が、くさくさしたこころを休ませてくれる。そのような時間の積み重ねが、こんなふうに言葉を連れてくるのです。


さえぐさ